浮世みならひ

まっさら新米の心。恩師は冷ごはん。

記憶の防災

 

私の住み家は何かと自然災害を免れている。

たとえば少しだけ離れた町が嵐になっていても

自分の町だけを完全に避けていたり。

 

そして私自身 苦しいことや病気はたくさんあるけれど、

たとえば事故に遭ったり 突然倒れたりといった

命に関わるような危険に晒されたことは奇跡的にほとんどない。

そして 漠然とだけれど この先もし被災しても

自分はギリギリで生き残るような気がしている。

 

運が良いというのとは違う、明確に何なのかは分からない

見えない何かに守られているのだと思う。

家族や周囲の人たちやご先祖様が私を大切に思ってくれているという

良い念が積み重なって  それによって生かされているように感じる。

 

大切な人たちがずっと生きていてくれる保証は無いし

思い出の風景が突然消えて無になるなんてことも  いつ起きてもおかしくない。

それで もしも 自分だけが生き続けていたとしたら…と考えると 逆に恐ろしい。

 

 

ただ この先も生かされていけるのならば 私にできることは

私以外の人間が生きていたという証を 大事に記憶しておくことくらいだ。

 

そのために常に念頭に置いていることがある。

 

今日 会った人は どんな声で話し

どんな表情をしていたか(ネットの場合も想像で)

 

今 突然暮らしに危機が訪れたら

最低限 何を守ろうとするか (一番大切なものは何か?)

 

関わりあい、覚えていることは 生きている者だけの特権だろう。

 

どんな恐ろしい現実があるかを知ることは

悲しい被害を少しでも減らすためにこれからの教訓にもなることで

もちろん重要だけれど、7年経った今 

被災する前まで 人々は何を大切に守り 暮らしてきたのか ということ

私は覚えていたいし、もっと知って 大事にしたい。

 

未曽有の出来事により浮世を去ることになってしまった方々への祈りとともに。

 

 

浮世は3.11

 

悔しいことに

被害に遭った人々の救いになるような財力や体力は 今の私には無い。

苦しさ 無念さ 虚しさ… を心から理解したり

喪失感を埋めることも きっとできないと思う。

 

わかったようなふりをして 相手の本当の気持ちも見えないで

 

「辛い思いをして本当に可哀想」

「もう7年も経ったんだから、自分を許して幸せになったら」

 

そんなふうに 他者が

人の気持ちを無理に変えようとすることは果たして思いやりなのか

 

 

私はそっと見守って 人々が築いてきたものが いつか取り戻されるように

平和を願おうと思う。

自分がこれまでされてきたように 応援の念を送りたいと思う。

 

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mokuto

 

そして 浮世に残っている限り

ちいさな幸せを噛みしめて暮らしていこうと思う。

 

 

=追伸『ぷち告白』=

 

昔 アリの巣コロリのcmを見て「うわぁ気持ち悪いな」と思った後

しばらくアリのことを妄想してしまい

 

1日目

「あれ、仲間が倒れてる どうして?」

2日目

「うぐぐ、お腹が痛い…」

「え…!?お父さんもお母さんもどうしたの?」

3日目

「みんないなくなっちゃった、うわわーん!」

「うぐ…僕もお腹が…」

 

って考えて本気で泣いてしまったことがあります…。